徒手空拳の技術
いきなり意味不明の表題になっているのは、何も筆者が体育会系出身だから、という訳ではありません。
技術の道具を使えない場合でも、素手で戦えるように、日頃から技術者として鍛錬を積む必要性がある
ことを端的に表現したかったからです。 最近、筆者はいとも簡単に人の名前を忘れるようになりました。
確実に老人力がついてきたためです。
しかし、漢字を書けなくなったり、暗算ができなくなっているのは、このためだけではありません。
その昔、安価な電卓が普及し始めた頃の漫画サザエさんに、こんなシーンがありました。
小学校の教室で、先生がある計算問題を出したところ、指名された生徒はちゃっかり机の下に隠してある
電卓を使って計算した後、何食わぬ顔で、「答えは○×です。」と答えます。先生も、質問している間に、
机の下の電卓を使って、「良くできました。」と褒めています。作者の長谷川町子氏は、すでにこの時、
人間が便利な道具を手にすることによって、実はだんだん利口ではなくなっていくことを見抜いていたのでは
ないでしょうか。
現代のパソコンの性能の高さには目を見張るものがあります。かつてのスーパーコンピューターの能力を
超えてしまったかのようです。パソコンと適切なソフトウェアさえあれば、誰でも複雑な技術計算や高度な
シミュレーションを利用できるようになりました。誠に便利な時代です。しかし、複雑なものは理解しにくい
上に、一度トラブルを起こすと修理も難しくなります。また、どんなに高度なシミュレーションも技術者の
直観が働かないものは、あまり役に立たないようです。面白いことに、複雑なシステムも単純化を進めて
直観が働くレベルまで自由度を縮退していくと、コンピューターを使わなくても手計算でも何とかなる
ようになります。
技術の現場では何が起こるか分かりません。周到に準備したものが一瞬にして使えなくなることも、
よくあります。こういう場面では直観が大きくものを言います。ただ、ここでいう直観とは、単なる山勘では
なく、理論と実際をよく勉強し、理解して、日ごろから修練を積むことにより醸成された知識と判断力で
なければなりません。少なくとも、ニュートンの第2法則(F=ma)と、フックの法則(F=kx)だけで設計が
できるワザと、最小二乗法で実験ができるワザを習得していなければならないと思っています。これらの
ワザを、筆者は勝手に徒手空拳の技術と呼んでみたのです。
頭の老化を防止するために、また、コンピューターを使えない時の危機管理として、さらにはコンピューター
を本当に上手に使うためにも、徒手空拳の技術を磨く必要があると思っています。
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